二流を目指す伊達雅輝の三流レーサー&三流アングラー日記

2019年1月20日よりブログ名称ちょっと変わりました。

<レース> 第26回ツール・ド・八ヶ岳 結果

男子E(41歳〜50歳)90位/出走409人中、50分32秒、平均時速17.80km

※雪の影響で15kmのハーフコースにコース変更


惨敗。



2011SUPERSIX
Fホイール:▼リム:CORIMA WINIUM ▼ハブ:AMERICAN CLASSIC、Rホイール:Shimano WH-7850-C24-TU、タイヤ:TUFO Elite JET <160g 20C(チューブラー/シーラント注入)、エア圧:前後11.0bar、クランクギア:50×34T/ROTOR Q-RINGS、スプロケ:12-27T/CS-7800



レースのコース。



勾配。



走行データ(心拍計非装着)。



走行データ(心拍計非装着)。



ワット数は実測値ではなく、ソフトの計算によるもの。




5時20分に目覚ましをかけ、すんなりと起床。
昨夜は21時に寝たので当然か。寝起きはすっきりしている。


ホテルの部屋でパンを食べて、6時10分に車で出発。
運転しながらパワーバーを食べる。


9時に最初のチャンピオンクラスがスタート、私のクラスは9時8分にスタート予定。特段の位置取りはせずに8時30分くらいに並べばいい、という、私にしてはだいぶゆっくりな計画だ。


6時30分過ぎに役場の砂利の駐車場に到着。
そこで「スタート時間は30分遅らせ、9時30分から」と放送が流れる。


昨日、下見をした体育館の駐車場は舗装されているので、係りの方に駐車可能かどうかを確認してからそこへ移動。


この時点では気温は低く、レースは真冬の練習と同じ格好で走ることにし、待機中はウィンドブレーカーを着ることにした。


ゆっくり準備をし、7時30分ごろに荷物を預けるためにリュックを背負ってスタート地点へ。
ここで、昨日の雪の影響で全員、ハーフコース(15km)に変更とのアナウンスがあった。
本来の25kmと15kmとでは、だいぶ状況が違う。
「25kmは厳しいだろうなあ」と思っていたので、すこしほっとした。


関係者は午前3時から必死の除雪作業を行ったらしいが、完全な状態にはできなったための無念の決断という。
昨日の雪の状況では、除雪するのも大変だったことだろう。


いったん駐車場へ戻り、実走でアップをする。
今回は3本ローラーを持参したが使用せず。
心拍計はここまでで反応しないので、取り外した。



レースコースとは反対の方向に、2回以上、180度曲がる坂道が見えたのでここを3回くらい上る。
心拍は170bpmくらいまでは上がったと思うが、客観的なデータではない。


時間の余裕をもってスタート地点へ向かう途中、どうも暑い。
下はチームジャージのレーパン(ビブ)とアンダーアーマーのヒートギアのタイツ。
上はアンダーアーマーのヒートギアの長袖に、2XUのメンブレーンジャケット。それに頭には耳あて付きのインナーキャップだ。
多少は暑くても、レースは上りで周囲の気温が低くなってくるだろうから、私の場合は、寒さに備えたほうがいいだろうという思考回路。


そう考えたものの、短時間のうちに気温がぐんぐん上がってきて、このままではどう考えても暑い。
結局、冬用の防風素材のグローブをやめて普通のグローブにし、シューズカバーを取り外した。


結果的に、これは大正解だった。





出場の男子Eクラスは400人以上が出走。
私は前からは真ん中くらいの位置、左端からスタート。


序盤は飛ばしすぎないように注意。
2車線を使っているが、結構、混雑していて意外に思うようには動けなかった。


その後はバラけてきても、上りだけなので辛いだけ。


中盤はペースが上がらず、同じクラスの選手に抜かれることが多かったかな。


ゴール手前はほぼ平坦になるのか、それとも若干は下りになっているのか、5、6人の集団で走って時速40km弱だったようだ。


15kmのレースを5kmずつ、序盤、中盤、終盤に分けるなら、終盤はいい走りができた。
中盤は力及ばず撃沈、序盤はもうすこし頑張れたのでは、というのが感想。




走りの内容とは関係なく、下り道の景色がなんてすばらしいこと。
途中の部分はレース時以外はまだ通行止め期間内なので、下りはレースとは別のルートを走った。


13時ごろに現地を出発し、16時30分ごろに帰宅。
首都高の箱崎ですこしだけ渋滞があっただけ、それ以外は楽々の快走だった。


自転車の洗車をし、荷物を片付け、家族そろっての夕食はじつにうまかった。
また頑張るぞ。




ゴール地点。



冠雪の浅間山を望む。



白樺の木が美しい。