1階部分が津波で大破した旅館「割烹の宿 文字島」=2011年4月17日撮影
2011.03.08 Tuesday
この日からおよそ2年が過ぎた。
当時、福島県相馬市の旅館『文字島』は、“割烹の宿”を身上とし人気を集めていた。松川浦に面した小さなたたずまいで、客室は2階にわずか3部屋だけ。2008年の父の古希の祝いでは1年近く前に兄が予約を取り付け、地元の海の幸をふんだんに使った評判の創作料理に家族は皆、舌鼓を打った。
東日本大震災の津波は白波となって太平洋から松川浦を越え、建物の1階部分を容赦なく突き抜けていったという。
震災から1カ月後の2011年4月に訪れた際、まだまだ片付けに追われていた若おかみは、私を土足のまま招き入れた。
「地元の若い人たちが泥をかき出してくれたばかりなの」。大広間は床下がむき出しになっていて窓ガラスはなく、和やかにつどい楽しんだときの面影はない。
調理道具や食器類、ありとあらゆるものが流され、若おかみはきっと絶望的な心境なのに、自転車に乗ってきた私を気遣い真っ先にスポーツドリンクを笑顔で手渡してくれたことが忘れられない。
旅館のホームページの“最新情報”は現在でも、付近の風景を「絶景です!」と紹介した表題の日付で止まったままでいる。
聞くところによると若おかみ夫婦は営業再開を目指し、市内の市場の食堂を仮店舗にし、料理の腕を振るっているらしい。
夫婦がつくる “復興チャレンジ丼”と銘打った一品にありつくためには、福島市の実家からならおよそ60キロ。帰省の際、今度は車を使わず、盆地から霊山(りょうぜん)を越える街道すべてをロードバイクで走っていきたい。
1日限りのくたびれなど取るに足りないことだし、昼からの店の営業時間に合わせるのだから、「朝飯前」の到着は選択肢に加えないほうがいい。
そんなことを思いながら、妻に言われたとおり、仕事が終わってから整骨院へ。
まだ完全とはいかないまでも、前回2月21日の来院以降、ポカリのおかげで右脚の状態が格段によくなったことの報告を兼ねて。
20時35分に帰宅するなりポカリを一杯。